半分の月がのぼる空

半分の月がのぼる空


原作がライトノベルで、全巻読んでいたので、ストーリーは分かっていたのですが、やっぱり本と映像で見るのでは感じ方が違うなぁ・・・と思いました。

ハリーポッターシリーズなどに代表されるように、面白い小説を実写化すると、どうしても原作の設定を思い描いてしまい、物足りない印象を受けます。
半分の月がのぼる空も同じで、私的には物足りない印象を受けました。
ただ、原作と決定的に違う設定が一つだけあり、その変更がもたらした結末には感動しました。

裕一は、最後、里香に手術を受けて欲しいと願います。
成功確立が低く、別の病院に移ることでもし手術に失敗すれば、二度と会うことは出来ません。でも、私が裕一の立場だったら、きっと同じように手術を受けてもらいたいと思います。普段は里香から色々と命令を受けて、渋々従っていた裕一ですが、その時だけは強く願います。心の底から相手に伝えた言葉は、やっぱり重いものですね。

物語は、裕一の目線で進みますが、里香の目線に立ってここからは考えてみたいと思います。

年少時代、父親と同じ病気だと発覚し、入院を余儀なくされます。
腕が立つ医者がいると聞けば、何度も転院を繰り返します。
その間、もちろん、いつ死ぬか分からない恐怖に襲われ続けます。
劇中で母親が「あの子の笑顔を見るなんていつぶりかしら」と語っていました。
それほど、里香にとって病院は辛い場所であり、自分を閉ざしてしまう原因になったのだと思います。
そんな生活の中で、自分に歩み寄ってきた見るからに気弱そうな男・・・
最初は、いい使いっぱしりが出来た程度にしか裕一を見ていなかったのかもしれません。
でも、誰も自分の我侭を聞いてくれなかったのに、裕一だけは聞いてくれる・・・
そんな、文句を言っても、最終的には行動してくれる裕一だからこそ、里香は心を開いていったのだと思いました。
里香の中で、諦めかけていた「生きたい」という気持ちが裕一という存在によって蘇ったのだと思います。

ということで、ここで問題提起というか、じゃあ人間が「生きたい」と思うってなんだろう?と思います。
もちろん、今の日本では、かなりの確立で「生きたい」と思わなくても「生かされて」います。私自身、現状は「生かされて」いる側のように感じます。
世界に眼を向ければ、生きたくても生きれない人々がたくさんいます。
もちろん、「生きたい」と思える歳まで生きていない人がたくさんでしょう。
じゃあ、何故考えることが出来る人は「生きたい」と思わないのでしょうか。
それは結局、「考える必要がないから」と思っているからだと思います。
「生きたい」と思うことが出来れば、その日一日、その一時間、その一分を大切に生きようとできるのに、今の日本人は、大半の人がそう考えて生きてはいないと思います。
全て、他人事のように考えてしまうからこそ、「生きたい」と思えないのか。
それとも、当事者になったとしても、やっぱり「生きたい」と思えないのか。
当事者になってみないと分からない。なんて答えがたくさん返ってきそうですけれども、余命1週間~1年といわれたら、皆さんならどうしますか?

本日ご紹介させていただいた『半分の月がのぼる空』ですが、『日々に疲れを感じている方』、『目標が見つからない方』に是非お勧めしたい映画でした。

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